受験シーズンになると、それまで部活動一色だったわが子も、慌てて塾通いを始めました。
4人の子供のうち、末っ子だけは塾選びに奮闘した結果、燦々たるものに終わりました。

途中から塾通いを初めて合格できた3女と同様、末っ子も本人が希望してから同じ塾に通わせたのはいいのですが、そもそも勉強やら、努力というのが嫌いな子でしたので、長続きすることはなく、途中から嫌がる子供を無理やり急き立てるようにして車で送り迎えする日々が始まりました。

今のように、当然のように親が送り迎えをすることは珍しく、ほとんどの子供たちは近くから自転車や徒歩で通っていました。
そんな周囲の子供たちを横目に、わが子ながら情けなくなりながらも、この子の将来のため、という思いだけが先走り、高額な塾代のために仕事も増やしながら、子供にはなだめたりすかしたりして精魂尽き果てる思いでした。

今思えば、その子のため、という親心に「馬鹿」がつくほどの甘やかしが災いしていたのだと思います。
「友達の通ってる塾がいいらしいから、そっちにする」といわれ、「仕方ないな。この子が通いたいと思うほうを尊重しよう」という思いで、また入会手続きし直して通い直す、そんなことを2度繰り返しました。

それにも関わらず、最後には「やっぱり私、高校やめる」との決断に、無意味だったそれまでの労力に、自分だけが体験学習したような思いでした。

結局は、親が仕掛けていくのではなく、本人がどうしたいのかを優先して出助けすることしかできないのだ、と気づきました。
仮に流れのまま受験に挑み、合格したとしても、その気がなければ中途半端に終わっていきます(わが子の場合)。

私はあえて中学しか卒業しなかったことでその後の人生を学んでいってほしいという厳しい選択をして決断を受け入れました。